打たれて育つ

信仰とは主イエスの後に従い、何度も躓きながら養われていくものです。
剣道も似た一面を持っています。高段者の先生はみな口を揃えて「打たれても良いから基本通り真っ直ぐ打ち込んで来なさい」と指導されます。此方の打突(だとつ)がかすりもせず、いいかげん打たれてばかりいると防御に徹したり、フェイントなどの小細工で一本取りに行こうとします。しかしそれでは上達しません。決して精神論ではありませんが打たれて強くなるのが剣道です。
イエス・キリストの神は迷いでた一匹の側から思考する神です。これは世の流れに逆行します。故に頭で理解しても日常でそれを実践するのは並大抵のことではありません。主イエスの後に従っても大概は途中で躓いてしまうのが人間です。しかしそれを小細工(解釈など)で正当化してしまうと信仰は養われません。
今日もまた主イエスの後について行けなかった。その事実に真っ直ぐ打たれながら、それでも私に従って来なさいとう主の呼びかけに導かれて、信仰は芽生え育っていくものなのです。

孫 裕久

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