さいたま市に住むトルコの少数民族・クルド人、小学6年生の女子児童が在留資格を失ったことで公立小学校から除籍されました。
出入国管理法(入管法)は、在留資格を失った者に日本からの出国を命じています。故に教育委員会は、当該女子児童は出国せねばならずとの判断で除籍したのでしょう。しかし、教育基本法(第4条)では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」と定められており、文科省はこれを基に在留資格がなくても居住実態が分かれば、学校が児童を受け入れるよう指導してきたと考えられます。
ここで入管法と教育基本法との間で矛盾が生じています。入管法は出国を命じ、教育基本法は教育を受ける権利を保証しようとしています。
私は、これが法律のあるべき姿ではないかと思うのです。法律とは各条項間の整合性を保つべきと考えられがちです。しかしその整合性を保とうとする作業、即ち矛盾をなくそうとする作業は人を見ようとしません。まさにイエスが「安息日は人のために定められた、人が安息日のためにあるのではない」と言われたとおりです。
人間が完全でないように、完全な法律も又あり得ないのです。どこかに矛盾を抱えています。しかしそこにこそ私たち人間が向き合うべき課題が表出していると捉えるべきではないでしょうか。表面的に矛盾をなくそうとするなら、それは法律のための法律であって人のために定められたものでなくなってしまいます。
この矛盾は、今後入管法と教育基本法をどのように整合性を図るかという問題に発展していくものではなく、法律自身が内部に葛藤を持っており、故に法律は生きており、クルド人女子児童の今後について人間自身が考えていくべき課題であると法律が命じているのです。
孫 裕久