対立の克服

受難節は、主イエスが十字架にかかるまでの苦しみと犠牲を思い起こす期間です。しかし、それは単に主の苦難を振り返るだけではありません。主がその苦しみの中でどのように生き、どのような選択をされたのかに目を向ける機会でもあります。
人間は困難な状況下においてこそ、その信仰が最も問われます。順調な時には、自らの信仰の真価が見えにくいものですが、試練の中にある時こそ、その人が本当に何を大切にしているのかが明らかになります。
イエスは、敵意や憎しみのただ中にあっても「赦し」を選びました。十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからないのです」(ルカ23:34)と祈られました。この言葉は、イエスを苦しめた者たちへの深い愛と憐れみを示しています。
また、イエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と教えられました。これは、人間の本能的な敵意に対し、愛と赦しをもって応じるよう求めるものです。しかし、赦しは決して容易なことではありません。傷ついた心を抱えながら、なおも愛を選び取ることは、非常に大きな決断を要します。
私たちの人生においても、対立や衝突は避けられません。それが人生といっても良いぐらいです。人間関係の中で誤解が生じたり、傷つけ合ったりします。そのような時、憎しみに憎しみで応じるのではなく、主イエスのように、愛と赦しを選ぶことができるよう祈り求めたいと思います。
受難節の意義は、キリストの苦しみを思い起こすこと同時に、私たち自身がこの世で直面する対立や困難にどのように向き合うべきかを学ぶ機会でもあります。
簡単でないことは百も承知ですが、その道を先立って歩まれそれに勝利した主イエスを信じて、この受難節を御心に適えたいと願います。

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