神奈川教区形成基本方針の前文の一節に、「教区内に相違や対立がある現実を率直に認める」とあります。
確かに、誰の目にもそこに相違や対立があることは否めません。しかし、この「認める」とは、単にそうした事実を承認することではなく、それでも一緒にやっていこうという意志が込められています。
さらに、この一節は続けてこう述べます。
「認めると共に、それらの相違や対立をかかえつつもなお、一つの教会であることを求め、真に一つの教会を形成することを目指す形成途上の教会であることを確認した。」
先週の説教で取り上げたエフェソの信徒への手紙には、「すべてのものが、キリストにおいて一つにまとめられる」とありました。この「一つにまとめられる」とは、すべての人が同じになることを意味しません。違いを持ったままで共にあること。異なる者どうしが共に座ることのできる「食卓」が、キリストによって備えられたのだというのが、福音のメッセージです。
マルティン・ルーサー・キング牧師は、こう夢を語りました。「いつの日か、かつての奴隷の子孫と、かつての奴隷所有者の子孫が、兄弟愛の食卓につく日が来る。」
これは、敵意や差別を超えて共に座る、神の恵みによる食卓のビジョンでした。
「敵を愛する」こと。それは観念としては理解できても、現実には非常に困難です。しかし、それでも私たちは、友となるためのわずかな一歩を踏み出すことは可能です。たとえ完全にはなれなくとも、その方向へと歩み始めることはできるのです。そして、その歩みの先にある和解と一致へと私たちを導くのが、聖霊の働きです。
私たちの教会もまた、「形成途上の教会」です。一つになることを日々目指して歩んでいる途上にあることを、私たちは忘れてはなりません。私たちは、まだ完全に一つになってはいないのです。異なる者同士が共に歩んでいくうえで、この認識は極めて大切です。
そして、それを完成させてくださるのは神のみであることを覚えましょう。私たちは、常にその途上にあり、なおも日々それを目指して歩み続ける存在なのです。
孫 裕久