言葉の意味に迫る

毎週木曜日、横浜YMCA専門学校で、外国人留学生たちに聖書を教えていますが、時々、日本語の講義になることがあります。できるだけ平易な日本語を使っているつもりでも、日本語教科書に載っていない少々マニアックな言葉をつい使ってしまいます。最近では「サビの部分」「チャラにする」など。日本語を母語とする人が、改めてその意味を説明しようとすると、案外難しいものです。そんな時は、例文をいくつか紹介します。その方が、学生たちにとっても分かりやすいようです。

考えてみれば、言葉とは、必ずしも意味を理解した上で使っているわけではありません。多くの言葉は、経験の中で耳にし、口にしながら自然と覚えてきたものです。つまり、言葉は「使いながら身につく」ものなのです。

最近、「舟を編む」という辞書作りのドラマを興味深く観ています。辞書の中で言葉の意味を説明する部分を「語釈」というそうです。語釈はその意味を正確に説明しています。しかし、それが必ずしも理解の近道とは限りません。むしろ例文の方がずっと分かりやすいことも多いです。まず使ってみる、聞いてみる。その後に語釈を読むと、より深く納得できる。そんな順序の方が、人には自然な感じがします。

信仰も、これと似ています。説教や聖書研究で信仰について学ぶことは大切ですが、それが理解の近道とは限りません。むしろ、日々の生活の中で聖書の言葉に出会い、愛や赦し、信仰の意味を体験することの方が、はるかに多くを私たちに教えてくれるのです。パウロは愛を言葉で説明しましたが、イエスは愛を生きました。信仰告白は大切ですが、それを云々する前に、まず信仰告白を生きましょう。

まず生きてみる。信じて歩んでみる。その日常あってこそ、説教や聖書の学び、そして信仰告白は、私たちをより深く導いてくれるのだと思います。

孫 裕久

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