今がその時

以前、梅田玲子姉(元教会員)のお連れ合いから聞いた話です。山手線を利用していると、時々、私服警官に呼び止められ、外国人登録証の提示を求められることがあったそうです。それは職務上、仕方のないことだと理解していたものの、確認を終えた警官の「行っていい」という一言が、どうにも我慢ならず、日本という国に失望したと、本当に悲しげに語っておられました。
確かに、国の安全を守る立場にある者が、疑いの目を持って見張ることは職務上必要な場面もあるでしょう。外国人登録証の確認を求めるのは仕方ないにしても、その後の一言は「ご協力ありがとうございました」であるべきではないでしょうか。外国人とは本来、客人であり、もてなす対象であって、監視する対象ではないはずです。
百歩譲って、ここが日本である以上、「日本人ファースト」と声高に叫ぶのは言論の自由の範疇かもしれません。しかし、それに排外的な政策を組み合わせることは、ナチズムの始まりと言っても過言ではありません。一部のマナー違反の外国人旅行者を例に出し、あたかも外国人全体が無法者であるかのように敵視する風潮は、極めて危険です。外国人であろうと日本人であろうと、ルールを破る者は法に基づいて処理すればよいだけのことです。「外国人だから危険だ」「排除すべきだ」といった短絡的な考え方は、社会を分断し、平和を脅かします。
このような状況下で、教会はどうでしょうか。教勢が右肩下がりであることを嘆き、聖餐論や信仰告白など、内向きの議論に終始してはいないでしょうか。
しかし今こそ、教会が世に向かって福音を語るべき時です。
この80年、なぜ空からミサイルが落ちてこなかったのか。それは、戦後日本が辛うじて憲法9条を守り続けてきたからではないでしょうか。教会は、平和の尊さを命がけで訴えるべき時を迎えています。
今、キリスト教会は、否、宗教は、平和に資するそれぞれの真理を語り、その真理を生きて示すことが求められています。
イエスは「敵を愛しなさい」と語られました。この真理とともに、私たちキリスト者も平和の道を歩んでまいりましょう。

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