「怒る場合に怒ってこそ、人間は尊厳を保つことができる。しかし人は、目先の利益のために、あっさりと自尊心を売り渡す。」『銀河英雄伝説』(田中芳樹)
人は軽々しく怒るべきではありません。これは私自身の反省でもあります。しかし、冒頭の言葉は、怒りを否定してはいません。むしろ、「怒るべき時に怒らずに沈黙することこそ、自分の誇りを失うことだ」と語っているようにも思えます。
一般的に、「尊厳」とは、人間が生まれながらに持つ「存在としての価値」や「人格の重み」とされます。一方、「自尊心」とは、「自分には価値がある」と思える心、自分に対する評価や誇り、自己肯定感といった内面的な感覚です。
同じ「誇り」に関わる言葉でも、両者には明確な違いがあります。特に『銀河英雄伝説』が語る「自尊心」は、他者からの承認を求める虚栄心ではなく、自らの信念を裏切らないことに対する誇りではないかと思います。
聖書を注意深く読むと、イエスはしばしば怒っています。たとえば、弟子たちが子どもを遠ざけたとき、イエスは憤って弟子たちを叱りました。あの怒りは、自分のためのものではなく、子どもたちの尊厳を守るためのものであり、同時に、神の愛を生きるイエス自身の尊厳をも守る怒りだったのだと思います。
怒るとき、それが誰のための怒りか。これは、とても大切な問いです。自分の名誉や立場を守るための怒りであれば、それは傷つけられた自尊心の反応にすぎないのかもしれません。しかし、誰かの尊厳を守るための怒りであれば、それは愛に根ざした行為として、むしろ必要なものだと思います。
先日の教区総会で、私はある問題発言に対して怒りの声を上げてしまいました。その発言は確かに問題を含んでいましたが、そこには私個人への誹謗中傷が含まれており、それを支持するかのような笑い声も会場に響きました。
今振り返れば、私はあのとき「誰かの尊厳のために」怒ったのではなく、「自分が侮られた」と感じたことへの反応、つまり、他者の評価に傷ついた自尊心を守るための怒りが含まれていました。
近年、「アンガー・マネジメント(怒りの感情をコントロールする技術)」が注目されていますが、怒りはただ抑えればよいというものではないでしょう。その怒りは、誰の尊厳を守ろうとしているのか。守ろうとしている自尊心は、どのような性質のものなのか。その問いを、信仰の眼差しをもって、これからも自分に問い続けていきたいと思います。