「夢」とは未来に描くイメージであり、「こうなりたい」「こんな世界であったらよい」という願いの形です。実現の可能性や方法がまだ見えなくても、人は夢を心に描きます。子どもが「サッカー選手になりたい」と語るときも、「戦争のない世界に生きたい」と願うときも、そこにあるのは夢です。
「希望」は、夢を現実へ近づける力です。単なる願望ではなく、困難の中でもなお「信じて待ち望む」ことに伴う方向性と根拠を持ちます。病の中で「必ずよくなる」と信じて歩む力。社会の混乱の中でも「平和は築ける」と信じて努力する力です。
「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る」(Ⅰコリント13:13)。そして聖書の希望は、神の約束を根拠にしています。
公民権運動の指導者マルティン・ルーサー・キング牧師は「私には夢がある」と語りました。黒人と白人が共に食卓につく未来、差別なき社会へのビジョンでした。彼がその夢を語り続けられたのは、希望を持ち続けたからでありましょう。夢があっても希望がなければ、ただの空想で終わってしまいます。しかし希望が夢を支え、現実を変えていったのです。
けれども私たちは、足元の小さな課題にはすぐに希望を失いながら、戦争や差別のない世界といった大きな夢を語る、という矛盾を抱えがちです。本当に大切なのは、その逆ではないでしょうか。神の国を完成させるのは神ご自身ですが、私たちはその約束に希望を置きつつ、日常の小さな場面で希望を捨てないことを求められています。
人間関係で誤解や衝突があると「もう無理だ」と諦めたくなるときがあります。しかし、その関係に小さな希望を残し続けること、「和解できるかもしれない」「まだやり直せるかもしれない」という視線を持ち続けることが、実は平和への第一歩ではないでしょうか。
身近な小さな一歩に希望を見出すこと、それがやがて平和への希望につながっていくのだと信じます。
小さきを あきらめぬ日に
積もる道 そこにぞ灯る
希望の光
孫 裕久