天の国の喜び

「天の国は、畑に隠された宝に似ている。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。」(マタイ13:44)
この譬えで注目すべきは「喜び」にあります。天の国は客観的に「これほどの価値がある」と証明するものではありません。またしても意味がありません。むしろ、それを見つけた人にとって、自分のすべてを投げうってでも手に入れたいと思わせるほどの喜びがそこにあったという事実が大切なのです。
戦後の在日一世にとって、在日大韓キリスト教会は同胞と集う場のひとつでした。そして、そこで偶然にも宝を発見したのです。
「されど我らの國籍は天に在り」(フィリピ3:20)。
多くの在日一世クリスチャンが最も愛唱したみことばです。日本に残るか、朝鮮に帰るか。朝鮮戦争が続く中で、また日本で生活基盤を築きつつも差別に耐えなければならない中で、迷う日々を過ごしていました。しかし「されど我らの國籍は天に在り」というみことばに、日本でも朝鮮でもない、国境や民族に縛られなくて良いんだという解放と新しい次元の居場所を彼らは発見したのです。それは、すべてを投げうってでも手に入れたいと願うほどの喜びがそこにありました。
天の国はそれぞれの人にとっての出会いであります。私にとっての天の国は何でしょうか。それは畑に埋もれて、思いがけず見つけることがあります。そんな大切な宝を見過ごすことなく、信仰の歩みを日々新たにしながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。

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