問いの向きを変える

おそらく今回の解散の背後には、改憲という本丸があるのだと思います。
私たちはしばしば「敵が攻めてきたら、どうするのか」と問います。確かにこの問いは避けられません。政治や専門家が具体的な線引きを考え、備えを論じるのも、ある意味では当然です。しかし、その問いが唯一の問いになったとき、平和はいつのまにか「戦える状態を整えること」と同義になってしまいます。
平和について、もう一つの問いがあります。「戦争にならないように、どうするのか」私はまず、こちらに尽力すべきだと思うのです。軍事的抑止は、ときに「相手を怖がらせる」技術として働きます。しかし平和とは、本来、「相手と関係を育む」知恵ではないでしょうか。互いを脅し合う構図を当然として、対立を管理するだけでなく、関係を育むことがより大切です。日本はどちらに知恵と労力を投じているでしょうか。
「もし攻められたら」という問いに熱心な社会は、同じ熱量で「どうすれば関係を壊さずに済むか」と問い続けていくべきです。
平和は、強い言葉で「守る」と叫ぶだけでは実現しません。問いの向きを変えるところから始まると思うのです。攻撃に備える議論を否定はしませんが、それに呑み込まれないこと。「戦争にならないように」という問いを、最初に置き直すこと。平和を願うとは、その問いを、飽きずに、怠らずに、社会の中心に据え直すことではないでしょうか。

戦なき
道を問いつつ
人として
向き合う知恵を
平和と呼ばん

孫 裕久

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