先日、愛する主にある姉妹(sister-in-Lord)の一人が病を担い、手術を受けることになった。概ね心配はない、とのことであったが、やはり不安はつきもの。特に若い彼女にとって、どれだけの心的負担であったろう。私は主にある祖母(grandmother-in-Lord)として(いや、年の差的には母かも?)心の痛み、不安、心配が大波のように襲ってくるのを感じた。
彼女のためにできることは、と考えた時に、「そうだ!これしかない!」それはつまり祈ることだ。ただ祈るだけでなく、私の思いを強く込めよう。そのために、日本ではよくある”願掛け”のようなこと、願いが叶うまで一番好きな物を断つ、ということを考えた。私の好きな物は、チョコレートだ。
三月に入ってからスタートしてみた。チョコレートを含む、様々なものは、毎日しばしば目にする。職場などで「どうぞ」といただくこともあったりする。しかし、それを食べない。チョコレートを見つめながら、彼女のことを考えて心の中で祈る。それを重ねていくうちに、気づいたことがあった。誰かのために、何かを断つ、ということは、その物を見るたびに相手を思い、苦しみやつらさを想像しながら自分もともに味わい、相手とともにいようとすることなのだ。さらに、その場で祈ることで、イエスさまも一緒に痛みやつらさのなかにいて、支えてくださるのだ。
私が彼女の痛みを本当に理解しているかというと、そうではないかもしれない。わかっていない、人の心の中は読み取ることなどできない、そんな自分であっても、寄り添いたい、ともにいたい、という思いだけは持っている。足りないところは、イエスさまがきっと補ってくださると信じて、祈り、待ち続ける。そして、無事に手術が終わり、順調に回復され、退院される、という嬉しいニュースが届いた。
神さま、イエスさま、ありがとう!一緒に喜びましょう!と祈る。そして、チョコレートをかみしめる。久しぶりのチョコレートをいただきながら、彼女の健康、ご家族の心のやすらぎをさらに祈る。そのチョコレートの味わいの中に、御子を私たちのために世に遣わされ、受難と復活を見守られた時、父なる神もまた苦しまれ、涙されたのではないかと想像しながら、神の計り知れない深い愛を感じている。それは、今回のチョコ断ちで与えられた気づき。大切なのは、「断つ」ことではなく、そのたびに誰かを思って祈ること。三月の終わりに倉さんが入院されることを聞いた。今度は、「断つ」ではなく、何かを見るたびに倉さんを思って祈る、ということにしてみようかな、と思う。辛いときには必ずともにいてくださり、祈りを聞いてくださるイエスさま、主にある兄弟(Brother-in-Lord)をお守りください。そしてそのご家族を。癒しと平安を与えてくださることを信じて祈り続けます。アーメン
小塚 優子