韓国強制併合100年とキリストの教会 ―個的現場の視点から― (7)

■「軍隊慰安婦」を憶えて

私どもの戸手教会にR・Kさんという今年96歳になる方がいます。この方はかつて『歌集・自分史史料』という本を書いています。中国大陸に従軍したものの病を得て送還、ついに2年足らずの兵役で帰国した方ですが、その間の陸軍兵としての経験をたくさんの歌に詠んでいます。

たとえば、「東部第百三部隊原田隊」という章には、「捕虜を切る また捕虜を切る 首の音 ひとだかりする 秋風のそと」、「行軍の 列を離れて 兵嬉々と 路傍の家に 火をつけて来た」など、残虐な軍隊の野戦での証言の中に、次の句がありました。

「眼にしみる 枯野の中に 乾してある 慰安婦たちの 袖袂の朱」

天皇の名で女子挺身隊徴用令が出た後、多くの朝鮮女性が日本の官憲の甘言によって連行され、ついには暴力的に「慰安婦」にされていったことはまごうかたなき事実であり、彼女たちは、日本軍の駐留する至る所に「監禁」され屈辱と涙の日々を過ごさせられたのです。この句にある「枯野の中に」「袖袂」を乾かしている女性たちを思うとき、本当に心痛むとともに、ここまで人間を追い詰める戦争の罪責を思わざるを得ません。

以下に述べることは、フィリピン占領地の「慰安婦」の話であります。大戦の最中、日本基督教団は政府の要求により「大東亜戦争」なるものが、西欧植民地支配からのアジア解放の「聖戦」であるゆえんを、占領地の住民に宣撫するべく、フィリピンとその他キリスト教の影響下にある地域に牧師を派遣いたしました。その数30余名といわれる「従軍牧師」がいたのです。私の父の友人であるH牧師は、フィリピンで日本軍と共に移動いたしました。ある日、その村のカトリック教会の司祭が日本軍の部隊長を訪ねて申します。「教会のマリヤ様の像が盗まれたので探し回ったところ、軍の慰安所に持ち込まれていた。女性たちに返還を求めたが、どうしても聞いてくれない。そこで部隊長の命令で教会に返すように言ってくれ」と言うのです。H牧師が「慰安婦」と話しあった時、彼女たちは申しました。「自分たちは無理やりに慰安婦という仕事をさせられている。ところが、この仕事についた途端、家族も友人も私たちを白眼視し軽蔑しはじめて、教会にも行けなくなった。皆と相談して私たちの悲嘆と祈りをマリヤ様に聞いてほしいと思い、像を持ち込んだのだ」と。H牧師は部隊長に会い、慰安所のマリヤ像はそのままにして新しいマリヤ像を教会に寄進することを進言し、部隊長はその通りにしてくれた、ということであります。

これは、決して信仰美談などではありません。H牧師としてはあの状況の中でできる最大限のことであったでしょう。問題は、そのようにフィリピン女性たちを追い込み家族関係も交友関係もずたずたに切断し、生涯消えることのない心身の傷を負わせた日本軍の「軍隊慰安婦」制度です。自由主義史観に立つ「新しい歴史教科書」などは、このような事実を隠そうとしています。しかしそれは、日本政府の戦争責任をますます深めるのみです。必要なことは、その事実を認め、「慰安婦」とされたアジアの女性たちへの謝罪と補償であります。このことを抜きにしてアジア・太平洋諸国との和解と共生はありえないと思います。

■「三・一独立宣言」の普遍性を憶えて

「われらはここにわが朝鮮の独立国なること、および、朝鮮人の自主民なることを宣言するものなり」という文ではじまる「三・一独立宣言」はもちろん、日帝の植民地支配からの朝鮮民族の解放、独立を宣するものですが、その宣言全体を支える文脈はきわめて普遍的な人類共通の理想を追求する姿勢に満ちており、その訴えの内容は、自民族のみの自由繁栄ではなく、「全人類共存同生権の正当な発動なれば、天下のなにものといえどもこれを阻止抑制すること能わざるものなり」として、その普遍的動機を明確に訴えています。そして1910年の「併合」が日帝の一方的強制と要求によるものであることを明らかにしています。

「当初より民族的要求として出でざりし両国合併の結果が、ついに姑息的威圧と差別的不平等と統計数字上の虚飾の下にて、利害反したる両民族間に永遠に和同しえざる怨みの溝をますます深めつつありし今日までの実績を観よ。勇名果敢に旧誤を正し、真の理解と同情に基づく友好的新局面を打開することが相互間に禍を遠ざけ福を招く捷径なることを明知すべきにあらずや」と述べて、両国の「友好的新局面」の開花をこそ望み、対等の国際関係の実現をこそ期待していることなど、まさに人間的態度に貫かれていることがうかがわれます。しかも江華島条約に始まる日帝の不平等条約について非難する言葉もなく、むしろ逆に「日本国の信義無きを咎めんとするものにあらず」とか、「日本国の義の無きことを責めんとするにあらず」として、民族としての度量の深ささえも表明しています。圧倒的な軍事的・経済的な威力を誇る日帝に対して、権力よりは道義をこそ尊ぶべきと述べる本宣言文は、単に1919年という時代状況の制限を越えて、世界人類における国際関係のあり方を示す、まことに普遍的意義を持つものであるといわなければなりません。

「あぁ、新天地が眼前に展開せり。威力の時代は去りて、道義の時代到来せり(傍点筆者)。過去全世紀の練磨長養されし人道的精神が折から新文明の曙光を人類の歴史に投射し始めたり。新春が世界に来たり、万物の回蘇を促しつつあり」とは、今こそ世界の国際関係の基調を示すものとして人類における普遍的遺産として尊重すべきものではないでしょうか。韓国強制併合100年の歴史において、その惨憺たる悲劇の連続にもかかわらず、否むしろその悲劇をこそ糧として生まれた格調高きこの宣言は、人類の共有すべき至宝とも言うべきものでありましょう。

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