希望

孫裕久

昨晩、蝋燭を灯し厳かにクリスマス・イブ礼拝を守りました。イブとはその語源を辿るとEvening(夕方・晩)と同じ意味です。したがってクリスマス・イブとはクリスマスの晩というのが本来の意味となります。

これは教会暦の日付変更が日没から始まる事に由来し、クリスマスは24日の日没と共に始まります。したがってクリスマスの晩はクリスマス・イブであり、クリスマスはイブ(晩)から始まります。

イブ礼拝の後キャロリングに出かけました。街灯一つ無い河川敷の路地に灯された蝋燭の灯は弱々しく、しかし確かに輝いていました。「光は暗闇の中で輝いている」とはまさにこの事でしょう。如何に闇が深かろうと否、深ければ深いほどその弱々しい光は力を増します。悲しみ、苦しみ、貧しさ、不安、虐げ、それらが存在する所に光は希望を灯します。光は希望です。

希望とは決して困窮への慰めではありません。未来へ抱く願いや望みに留まるものでもありません。「希望は強い勇気であり、新たな意志である」(マルチン・ルター)

真っ暗闇に灯されるその弱々しい一個の光は、悲しみ、苦しみ、貧しさ、不安、虐げの中にある者たちの希望であり、即ちその者たちの「強い勇気」と「新たな意志」なのです。それは決して闇に敗北しません。

24日の日没後、闇の中に最初の蝋燭が灯された時、そこからクリスマスが始まります。そして灯りは、一つ又一つと増えていくのです。

勝利を、こころ深く信じる者たちが、

We shall overcomeと歌うが如く。

「We shall overcome」

 

We shall overcome

 私たちは乗り越えなければならない

We shall overcome

 私たちは乗り越えなければならない

We shall overcome someday

 私たちは乗り越えなければならない、いつの日か

Oh deep in my heart

 ああ・・・、こころ深く

I do believe

 私は信じる

We shall overcome someday

 私たちは乗り越えなければならない、いつの日か

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です