身の置き所

先週ようやく新会堂建築全国募金のお願いを発送する事が出来ました。翌日(月)未明、台風15号は関東、とりわけ千葉県に甚大な被害をもたらしました。しかし高圧線鉄塔を倒壊させた暴風にも関わらず、不思議と河川敷の街の被害は少なくヨルダン寮も看板とトタン屋根の一部を破損した程度で済みました。

来年この河川敷の街は再開発が始まり新会堂も完成すれば洪水や強風の心配から解放されるのかも知れません。長年台風が接近する度に心配しつつも、確かに守られ支えられて来ました。その度に何かを思い、何かを学び、何かを知らされてきました。安全安心を望んで悪い訳ではありませんが、きっと台風に晒されるヨルダン寮と共に感じてきたその何か達は、新会堂完成と共に私たちの日常から姿を消していくのでしょう。

信仰とは身の置き所なのかも知れません。信仰とは理解ではなく、その身の置き所によって養われそして活かされて行くものなのだと思います。新会堂は街区に建築され、これまでのような危険な場所ではありません。しかし身の置き所とは決して空間的なものに限りません。川崎戸手教会に相応しい身の置き所を既に神は備えて下さっている筈です。

教会は新会堂が建つとそれを維持する事に熱心になりがちだと聞きます。しかし私たちは常に多摩川の水位とそこに住む人々を気にしてきたような、そして不思議と守られ支えられ、その度に信仰が養われてきたその歩みを今後も続けて参りましょう。その為に神が備えて下さる身の置き所を発見しましょう。そこにこそ川崎戸手教会の新たな宣教の場が在るのだと信じます。

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