東屋(あずまや)の美穂ちゃん

実は土手の中に池がある。池といっても縦5m横3m位のものだが、今はもう水もなく枯れてしまっている。実はその昔、地域の人の手でこの池が造られたというのであるが、釣り堀で釣った魚をこの池で育てていたということである。この池が枯れてしまってからおおよそ25年位たったそうな。

さて、今回の主役はこの池ではなく、そのすぐ隣にある東屋という焼き肉屋にいる。東屋を切盛りしているママさんは1960年に戸手に越してきたということ。――当時21才――。実は私、この東屋さんには大変お世話になっている。焼き肉を食べに行くとなると、なかなか一人では行きにくい。まして安くない晩ご飯である。しかし、この東屋さん、一人で行けるし、値段も良心的である。お客さんは殆ど、地域の「はんば」に住む独り者のおじさんばかり。彼らは毎日、東屋さんで夕食をとる。「ええー!それじゃー、そのおじさんたち、毎日焼き肉食べてんの!」と思うかもしれないが、実はそうではない。彼らには彼らの特別メニューがある。彼らは、毎日、次の日は何を食べたいかを個人的にママさんに伝えておくのである。そうすると、ママさんはその材料を用意して次の日に備える。例えば「ママ!明日サンマが食べたいなー」「あっそ!じゃ明日はサンマね!」という感じである。時々、お寿司の出前もある。言うなれば彼らにとって東屋さんは焼き肉屋というよりは、寮の食堂のようなものなのだ。朝の早い労働者は東屋さんで草々に夕食を済ませて床に就く。したがって、営業時間は4時半から8時まで。日曜日は休業。

さて、いよいよ主役の登場。この東屋さんには美穂ちゃんがいる。この美穂ちゃんがとっ…ても可愛い。私は一目見たその時から好きになってしまったのである。彼女はお店を手伝っているわけではないが、時々店の奥からこちらをのぞき込む。私が「あっ!美穂ちゃんだ!」と言って笑顔で応えると恥ずかしいそうにして奥に逃げ込む。いじいらしい!今や美穂ちゃんは東屋の看板娘的存在である(私がそう思っているだけかも)。彼女は口数が少なく笑ったり泣いたりするだけ。時よりハンメ(おばあちゃん)とかオンマ(おかあさん)とか口にする程度。今、彼女にとってこの土手の中が全世界。お店の中をのぞき込むことさえ一つの冒険のようだ。やがて、美穂ちゃんも土手を超えて行く。その時、自分が生まれ育った世界を知ることになる。複雑な思いで胸が痛い。今年になって新しい命が次々に誕生した。この小さな命たちを支えていかなければ。この幼子たちがこの土手の希望である。美穂ちゃん満2才。今日もお店で忙しくするハンメの後ろからこちらを覗いてる。

「(私):日曜日、教会に来れば美穂ちゃんと同じ年位のお友達がたくさんいるよ!」。ちょっぴりスケベ根性が出てしまったー。

「(ママさん):いいね美穂ちゃん!ヨルダンのお兄さん所に行けばお友達がたくさんいるんだって、行ってみようか」。

それ以上は突っ込まなかった。でも胸の中ではドキドキ。期待できそう。

「(私):ママさん日曜日はやっぱり店やってないんですか?」。

「(ママさん):ううん、やっぱり日曜日はみんな仕事が休みでお客さんがいないからねー」。

「(私):それじゃー、日曜日でも10人位で予約をすれば開けてもらえるの!」。「(ママさん):そう言うことなら、こちらの都合さえ良ければ日曜日でも…」という事です。

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