ボクの地球に手を出すな

先週、川崎戸手教会での牧師会で、短編小説「ボクの地球に手を出すな」の朗読劇が披露されました。

新米の神様が誕生間もない地球に派遣されました。派遣された神様によって地球は順調に成長を遂げていたのですが、成長促進剤を持ち込んだ悪魔にまんまと騙されて地球の環境は取り返しの付かない状態まで破壊されてしまいました。自責の念にかられ、悩み苦しみ悲壮感漂う神様は地球を破壊しようと決断するのでした。しかしその時、地上から歌声が聞こえてきました。それは讃美歌というものものでした。自分(新米の神様)を称える歌。その讃美歌を聞いて神様は地球を破壊しようと考えた自分を恥じました。そして神様はその讃美歌に支えれ、「希望」を信じて地球を守っていくことを決断するのです。

私はこの神の姿が大好きです。それはゲッセマネで悶え苦しみ右往左往するイエスに重なるのです。

全知全能の神、万軍の主、天地の創り主、そこには力強い存在をイメージします。間違っても、悩んだり苦しんだりする訳などないと思うのです。また人間には永遠に到達し得ない完全無欠の答えを神はご存知であり、想像もし得ない超能力をお持ちであると期待しています。そこには「そんなお方が助けてくれるから希望を捨てないで生きていこう」とする信仰が存在します。しかしそれは信仰者が造り出した神であり、聖書はこれを偶像信仰と呼んでいます。

改めてストレートに聖書を読んでみるなら、「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14章9節)。ゲッセマネで悶え苦しみ、悩み、右往左往するイエス、あれは神の姿ではないでしょうか。神は全知全能ではなく、今日も考え悩み、時には失敗し反省しそれでも、今日この河原の教会で祈る祈りや讃美歌に応えようと頑張っているのではないでしょうか?そう思えば、「あなたの御心がなりますように」なんて祈ったら、可愛そうだな思いました。きっと神は「御心」って何?と頭を抱えておられるかも知れません。神が悩まないように、もうちょっと具体的に祈って差し上げてはいかがでしょうか?

神は私たちに先立って、苦しみ、悩み、悲しみ、失敗し、反省し、それでも諦めないで、この新しい一週間をまた歩まれようとされています。これに従って参りましょう。

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