ワンダー君は太陽

最近「ワンダー 君は太陽」という映画を見た。少年オギーは生まれた時から顔が変形し、27回にも及ぶ整形手術を経験していた。その容姿のためずっと母親と自宅での学習を続けていたが10歳になったのを機に両親はオギ―を学校に通わせる。物語には少年オギーを巡る周囲の人々の葛藤や優しさ、そして変えられていく姿が描かれている。

映画の節目節目に心に残る言葉がいくつも登場する。その内二つをご紹介する。

「正しいことをするか、親切なことをするか、どちらか選ぶときには、親切を選べ」

「オギーは見た目を変えられません。こちらの見る目を変えなくては」

以上の言葉はイエスの新しい教えと重なる。律法は正しさを追求する。しかしイエスが求めたものを平たく言えば親切ではなかったか。正しさは自己完結できるが、親切は隣人なしに成立いない。イエスの言葉が事実となる仕組みには、隣人の存在とその隣人へのアプローチが欠かせない要素になっている。

イエスは罪人の友となった。これは「あなたの罪は赦された」という言葉が事実になったものでるが、その内実は罪人が変わったのではない。イエスの罪人を見る目が変えられた。イエスの言葉が事実となる仕組みの今一の要素は、相手が変わるのではなく自分が変わる。そして言葉は事実となる。

最後に話を映画に戻すと、顔に障がいのある少年の物語というと暗いものをイメージがしますが、とても愉快な物語です。内容は重いが愉快に描いている。そこが良い。家族一緒に観る映画としてご推薦いたします。

映画公式サイト → http://wonder-movie.jp

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