霊が語らせるままに

使徒言行録2:1-4

すると一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした。(2.4)

霊が語らせるままにとは、どういう状態を指しているのでしょうか?実は、私たちの生きる世界は語りたいようには語れない世界です
本当は単純明快な世界であるはずが、権力や暴力、差別やいじめ、富や名声、そういうものが物事を複雑にして、然りは然り、否は否というシンプルなものをそのまま語りづらくしているのでしょう。
時に権力におもねったり、暴力に屈したり、富と名声に目が曇り、差別やいじめを見て見ない振りをしてしまいます。そういった態度を容認しながら語る言葉とは真に難しいものなのです。難しすぎて沈黙するしかありません。
このような世界で「霊が語らせるままに」とは何でしょうか?それはひとかけらの勇気かもしれません。本当に勇気が欲しいという時があります。言い換えるなら、自分の勇気のなさを痛感する日常を生きているのが、人間の現実ではないでしょうか。
沈黙していた弟子たちが「主は生きておられる」、そこに勇気を与えられ語りだしたました。
聖霊とは、本来語るべき言葉を語らせるひとかけらの勇気なのだと思います。そしてその勇気は「復活の主が共におられる」ことを信じて与えられる勇気なのです。聖霊降臨後を生きる教会の原動力はこのひとかけらの勇気ではないでしょうか。

▽    三位一体主日
聖霊降臨の主日の次の日曜日は、三位一体の主日です。父(神)と子(イエス)と聖霊の、三位一体の神をたたえる祭日。

孫 裕久

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