居場所のない隣人

救い主は馬小屋(家畜小屋)で生まれました。それは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とその理由を伝えています。この馬小屋は天の高い所におられる神が、この世の最も低い所にお生まれになったと解釈されています。確かにそういう意味も含まれているでしょう。しかしその文脈から読み取れば、宿屋が満室でマリアとヨセフは押し出され居場所がなかったのです。馬小屋は低いよりは周辺という概念が相応しいと思います。それは除外された存在、数の内に入らなかった存在です。
ぶどう園の労働者の譬え話(マタイ20章)もその一例です。 夕方5時まで広場に立っていた労働者は、誰も雇ってくれませんでした。 彼らはあぶれてしまったのです。
聖書の神様は、押し出され居場所を失った人々、あぶれた人々、数の内に入れなかった人々の神であると言えます。
寄留者とは定住地のない人々のことです。神はこの寄留者(アブラハム)と契約を交わしました。イエスも隣人として数えてもらえない排除された罪人の友となられました。貧しい人を救済する社会福祉という考え方は定着しつつあります。しかしそうなった理由が何であれ、周辺に追いやられた人々は世間から気づかれ難い所で生きています。
馬小屋で生まれた救い主は、そんな人々の存在に気づいているお方です。社会には数に入れられず気づかれ難い人々がいます。その人々に気づいていくのがクリスマスのメッセージであり、その存在に気づく時また自分自身が変えられ救いへと招かれていくのです。

孫 裕久

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