信頼 (1)

最近、連日耳障りな報道が繰り返され気分が良くありません。政治資金パーティーをめぐる問題について、岸田総理が「国民から疑念を持たれる事態を招いていることは遺憾であると陳謝し、政治の信頼回復に努めていく」という報道が面白くないのです。
疑念とは「本当かどうか、不正があるのではないかなどと疑いをもつこと」です。ここで岸田総理が問題視しているのは、国民に疑いを持たせてしまった点です。しかし国民の実情は、疑念は既に通り越し不正を認めない政治家に怒りを覚えている段階なのです。
次に信頼の回復とありますが、回復とは「もとどうりにすること」ですが、そもそも政治に信頼等持たれてはいませんでした。
岸田総理は、本件に関する不正を認めて陳謝したのではなく、本当かどうか、不正があるのではないかなどと国民に疑いを持たせてしまったと陳謝し、そもそもありもしなかった「政治への信頼」をもとどうりにするといって不正の核心をぼやかしています。
信頼とは「信じてたよりとすること。 信用してまかせること」です。この意味からそもそも政治は、期待はしますが信頼してはいけないものだと思います。特に権力を持った与党・内閣についていえばしっかり監視していかねばなりません。政治を政治たらしめるのは選挙によって政治家を選出した有権者の責任なのです。
さて、牧師は信頼によって成り立つ職務です。信頼というものに言及してしまった以上、政治家を信頼してはいけないと言い放ってそれで済む話ではないでしょう。(つづく)

孫 裕久

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