信頼(2)

牧師とは信頼によって成り立つ職務です。
もしかしたら私は牧師として信頼を得ようと生きてきただけなのかも知れません。しかし信頼とは努力して他者から得ようとするものではないと思うのです。信頼とは能動的で自ら他者を信頼していくものであって他者からそれを得ようとするものではないと思うのです。
牧師とは信頼によって成り立つ職務ですが、その職務を遂行するために先ず信頼を得る何らかの努力をするなら、それは言い換えるなら信徒に気に入ってもらう努力に過ぎません。故にそれは見せかけで本物ではありません。関田先生が最後に「本物を語りなさい」と教えて下さったその本物ではないのです。
先ず何らかの努力の末、信頼というものを得て、その上に牧師という職務が遂行されるのではなく、最初から信徒は牧師を信頼しており牧師はその信頼に支えられてその職務を全うしていくのです。その基本的大前提を私は踏まえていませんでした。故に表面的で見えるものに囚われて来たように思います。関田先生の言われた本物というものが何なのか、その影が少し見えたような気がします。
さてしかしながら信徒が何故牧師を信頼するのか、また信頼とは能動的で自ら他者を信頼していくものであるとするなら、最後に牧師は神を信頼しているかが問われるのです。(つづく)

孫 裕久

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