襷をつなぐ旅路

お正月の風物詩といえば、やはり駅伝ではないでしょうか。疲れ切ったランナーが、最後の力を振り絞って襷(たすき)を次の走者に託す場面には、いつも心を打たれます。
駅伝は長距離リレーであり、区間賞など、一人ひとりのランナーに光が当たる競技でもあります。しかし見方を変えれば、駅伝とは、一本の襷をスタートからゴールまで届ける競技であり、一人では完結しない物語です。
あるランナーは、力尽きてその場に崩れ落ちる。しかし襷は、次の走者へと確かに引き継がれていく。影の主役は、走者たちの汗にまみれた一本の襷なのかもしれません。襷がなければ走者は走れず、同時に走者がいなければ、襷は運ばれない。
信仰は襷に例えることができるかもしれません。襷を届けることが、それぞれに託された役割であり、襷があるからこそ、私たちは走ることができる。襷を引き継いだ「私」が、ここにいる。ゆえに私もまた、この襷を次へと届ける使命を負っています。
箱根路を神の救いの歴史にたとえるなら、一人ひとりは、その歴史を形づくる一つの区間です。ある区間は激しい向かい風にさらされ、またある区間は険しい上り坂かもしれない。そして私は、ゴールを見ることができないかもしれない。しかし、私がいなければ、襷はゴールへ運ばれない。
信仰の旅路もまた、自分ひとりでは完結しない物語です。しかし、自分は決してひとりではない。私たちは皆、神の救いの歴史を形づくる、それぞれの区間を走っているのでしょう。
レースの後、不調に終わった一人のランナーがインタビューに答えていました。
「いつも監督から、駅伝はひとりで走るものではないと教えられてきましたが、今日は本当に仲間に助けられました」と。

襷あり
託されたゆえ 走るわれ
次へと渡す 道のただ中

孫 裕久

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