子どもの権利

先々週、新聞に「家族苦しめる入管行政」という見出しがあった。
日本という国は、国際的な批判や外圧に弱い。だが、その弱さを通して人権問題が前進してきた面も否定できない。しかし、外圧への対応を主たる目的としてしまうとき、問題の本質が見落とされ、別の痛みが生まれることがある。
2024年、日本で生まれ育ったオーバーステイの子どもに対して、在留特別許可が与えられた。背景には、日本の在留管理が「日本で生まれ育った子どもであっても、親の在留資格がなければ送還対象になる」という運用を続けてきたことにある。これに対し、国連子どもの権利委員会は、子どもの最善の利益が十分に考慮されず、日本社会で育った子どもが突然排除されうる、という批判を重ねてきた。
その批判への政府の応答は、親とは切り離しても子どもだけは保護する、という枠組みを整えることにとどまった。すなわち「子どもについては人道的配慮を行っている」という体裁を整えつつ、親は「在留管理」から強制送還される。ここにあるのは、「在留管理」と「人道配慮」を切り離す制度上の整理である。子どもは守るが、親は別で判断する。その整理は、制度としては一貫しているのかもしれない。だが、その結果として生じる現実は、親子の分断である。
ここで改めて問われるのは、「子どもの権利」とはどこまでを指すのか。ということである。子どもとは本来、親との関係、養護される関係の中で生きる存在である。もし子どもの権利に、その関係が含まれるとするなら、親と引き離されたまま与えられる在留資格は、十分な権利保障と言えないはずだ。

この子らを
わが名のゆえに 受くる者
われを受くると 主は語れり

孫 裕久

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