皮には皮を(ヨブ記2.1-10)

サタンは神の定めた条件(ヨブの身体に手を触れるな)に目をつけ「皮には皮をと申します・・・」と、再挑戦を持ちかけます。
愛する家族の死も、ヨブに神を冒涜させるには至りませんでした。しかし自分自身の死が予測れる時、ヨブの口から神を呪う言葉を聞けるとサタンは考えたのです。
「皮には皮を」とは人間はその必要が起こると自身の皮を救うためには、他人の皮を差し出すとの意味です。これは自身の死活問題はそれ以外の災難苦難とは一線を画する特別なものであり、それ故神もその一線を守るべく「ヨブの身体に手を触れるな」と条件を置きました。
しかしサタンがその領域に容赦なく踏み込んだ時、信仰者の良心は激しく揺さぶられます。他者の皮の痛みと自分の皮の痛みの相違は程度の問題ではなく、一線を画する異次元の問題である事を我々信仰者は十分に自覚しているでしょうか。これは信仰者であるが故逆にその理性が無自覚にさせるのかもしれません。やや厳しく喩えれば、それは他人の痛みは信仰の範疇にあっても、自身の死活問題はその外側に当然のように置かれ、その矛盾に気づけないでいる様子です。
聖書は「隣人を自分のように愛しなさい」と要求します。これは他者の皮を自分の皮のごとく大切にせよとのことで、双方を隔てる一線を乗り越えろというものです。しかしそれが如何に困難であるかを知っているのは、他者の皮の痛みと自分のそれを隔てる一線を自覚している者であります。皮肉にもサタンの「皮には皮を・・・」とする挑戦は、我々をその自覚へと誘うのです。

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