弟子への約束

マタイ10:16-25

イエスは弟子を派遣するに当たり迫害を予告し「それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と喩えました。なんと恐ろしい喩えでしょうか。それは即ち迫害による殉教を意味します。しかしイエスは弟子に殉教しろと言っているのではありません。殉教は目的ではないのです。イエスが弟子を遣わした動機は群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てている様をご覧になり、深く憐れまれたからでした(9.36)。そしてその羊たちを救済することが派遣の目的なのです。故に殉教を美化しそれを目的化することをイエスは禁じました。
現代の日本で、キリスト者として迫害を受け殉教するなどということはありません。しかし主の教えをまともに生きようものなら確かにそれは狼の群れに羊を送り込むようなものだといえます。故にその狼の群れで羊は上手に生きてゆかねばならず、時には逃げることも必要なのです(10.23)。イエスは「最後まで耐え忍ぶものは救われる」と教えていますが、逃げることもある意味、耐え忍ぶことといえるでしょう。
キリスト者は日常の中で主の十字架を仰ぎ見つつ、それに追いつけない自分の弱さとの狭間で苦悩します。そういう弟子に対して主は「蛇のように賢く、鳩のように素直になれ」と命じました。羊が狼の中で生き延びるには蛇のような賢さが求められます。それはずる賢さと言ってもいいでしょう。しかし歩む道は歪めるな、真っ直ぐであれということです。即ちこの言葉の中心は蛇にあって鳩は蛇から想像される誤解に対する補足に過ぎません。イエスが言いたいことは「弟子は師にまさるものではなく、殉教すれば良いというものではない。むしろ隣人のために用いるその命を大切にしなさい。その為には蛇のズル賢さにも学びなさい。羊は狼の中で生きていくことなど出来ないのだから。」

孫 裕久

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