異質との共存

マタイ福音書9:14-17

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(9.17)

イエスは律法の円外に放出された罪人の隣人となり教えを説かれました。この事実に着目しキリスト教の立ち位置が円の外にあることは既に述べたとおりです。
新しいぶどう酒と古い革袋はイエスの教えと律法を比喩しており、イエスの教えが円外のものであって、律法の枠には収まらないことを例えています。
マタイはこの例え話をマルコから継承していますが、冒頭の9.17の最後に「そうすれば両方とも長持ちする」と書き加えました。ここにキリスト教とユダヤ教の共存が謳われています。
イエスは見せびらかす律法遵守を偽善であると批判しましたが、中には真剣に断食し真剣に神に祈るユダヤ教徒がいたのも事実です。「清水の舞台から飛び降りる」という諺がありますが、清水寺で命がけの祈りである証として本当に飛び降りた参拝者がいたと記録されています。
イエスの教えは全く新しいものでした。しかし古さの中にある真剣な思いを見下すのは全く新しくありません。例え教えを異にしても、そこにある真剣な姿に敬意を表するキリスト教会でありたいと思います。

孫裕久

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