説明責任

元来、説明責任とは、政府や企業など、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、その活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする義務の事です。しかし昨今政治家のスキャンダルについて、この用語が悪用されているように感じます。

 

「政治資金規正法」は政治家や政治団体の取り扱う政治資金を規定しており、政治団体又は政治家個人は政治資金の流れを法に基づいて明らかにする「説明責任」があります。

一方、政治家が口利きの見返りに報酬を得ることは「あっせん利得処罰法」で禁止されており、これは犯罪であります。政治と金にまつわる問題で使われる「説明責任を果たす」は、元来政治資金規正法に基づく表現であって、犯罪を政治資金規正法に基づいて会計報告するという次元に矮小化する為に悪用されています。本来は罪に問われているのですから説明責任ではなく、正しい日本語では「釈明」であります。

 

「一週間下さい」というのは、一週間で政治資金規正法に基づく収支報告書を整えるという事に他なりません。(そして事実上手に整えるのでしょう。)しかし犯罪に問われているのですから、それは説明責任ではなく事実か否かの釈明をしなければなりません。

収支報告書を整え、そこに問題がなければ、口利きの見返りを貰ったか否かは問題になりません。「説明責任」とは論点をすり替える便利な言葉であります。

 

確かに法というのはある意味便利なものです。しかしそれは強者が強者でありつづける為に法が機能する事を意味し、聖書的に換言すればそれは律法の腐敗と私物化であります。律法は封建主義の否定と弱者を守る為に定められました。律法は権力を私物化する道具であってはなりません。イエスは律法の否定ではなく、律法を本来の目的に取り戻そうとして十字架に架けられたと言えます。故に教会はこの世の法に対し決して無関心であってはなりません。本来、守るべき人々のために、それを取り戻して参りましょう。

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