愛の関係

「ドイツとアメリカは、出自、肌の色、宗教、ジェンダー、性的指向や政治的見解のいかんを問わず、民主主義、自由、法の尊重、人類の尊厳の尊重という諸価値で結びついている。これらの諸価値にもとづいて、私は次期アメリカ大統領ドナルド・トランプに緊密な関係を申し出たい。」

以上は、メルケル独首相がトランプ次期米大統領へ送った祝辞の一節です。

各国の代表が利害にもとづく関係をその祝辞で強調する中、メルケル氏は価値にもとづく関係を訴えました。これは経済社会で利害関係を度外視はしないまでも、しかしそれが最優先ではないということです。実は安倍首相の祝辞にも「価値」という言葉があります。「日米同盟は普遍的価値で結ばれた揺るぎない同盟だ」。しかし日米同盟とは即ち軍事同盟であって利害の関係です。利害関係は決して普遍的ではありません。

さて、このメルケル氏の言葉は米独関係に留まらず、その選挙結果が象徴する「なりふり構わず」という昨今の風潮に一石を投じるものではないでしょうか。

利害さえ合えば協力し、合わなくなれば即解消する。そんな関係を頻繁に目の当たりにする今日、我々はそもそも関係とは何であるか?人間として根本的に問わねばならない時代に突入しているといえます。

日本語訳聖書において当初「愛」とは「大切」と訳されていたようです。愛するとは大切にすることです「隣人を自分のように大切にする」。そこに関係が存在します。しかし聖書の愛はその隣人が私に利を与える限りにおいて大切にする関係ではありません。神が主イエスによって示された愛は出自、肌の色、宗教、ジェンダー、性的指向や政治的見解のいかんを問わない無条件の愛です。

即ち、メルケル氏の祝辞を換言すれば、愛の欠落した次期米大統領に対して「愛にもとづく厳密な関係を申し出たい」という事ではないでしょうか。

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