それでも種を蒔こう

マルコ13:1-13

マルコ13章は終末についてイエスの教えが記されている。イエスはエルサレム神殿の崩壊を予言した。ユダヤ人にとって神殿崩壊は終末にも等しい大事件である。弟子たちは終末の徴をイエスに求めた。イエスはこれに対し終末よりも、先ず福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならないと語った。(13.10)

人間が終末の徴を求めるのはそれに備えるためである。言い換えるなら徴がない内は安心して過ごせる。そこに備えの内実が表出している。即ちそこに隣人は存在せず自らの救いが優先されている。人間は須らく最後は自分の命を第一に考えるものであってそれを悪という根拠はない。しかし自らの救いを優先する時、人は他者との比較によって自分が救いにどれ程近いか(言い換えるなら、善人であるか)を計り、その比較が差別や対立、そして罪人を生んでいることを私たちは既に学んだ。よってイエスは先ではなく、すべての人の後になりすべての人に仕えることを説いたのだ。

イエスの「あらゆる民に福音が・・」という言葉は、徴を求めて終末に備えるのではなく、すべての人の後になること、即ち隣人を自分のように愛していく不断の歩みが先ず優先されるべきを説いている。

全てに始まりがあるように、全てに終りがある。しかしその終わりがいつであろうとキリスト者による福音の種蒔きは今日も変わることはない。

孫裕久

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