一心不動

1975年、大阪市立玉出中学に進学したのは48年前のことでした。玉出中学は剣道の強豪校でした。新入部員に手渡されたのは「一心不動」と書かれた緑の手ぬぐいでした。その手ぬぐいを頭に巻いて面を被ります。多少人生を経験し、その言葉の意味が少し分かるような気がしてきました。
剣道は互いに竹刀を交えて相手を打突(だとつ)します。剣道は基本が大切です。しかしどれだけ基本を正しく会得しても、それだけで一本を取れる訳ではありません。打突すべき「時」を捉えねばならないのです。そしてその時は待って訪れるものではなく、自ら創り出して行くものなのです。
その時とは隙です。時代劇などでよく聞く「隙アリ」というアレです。必ずしも太刀さばきの速さが勝敗を分けるのではありません。相手に隙をつくらせ、その隙をすかさず捉えた方が一本を取るのです。不意を突く相手の剣先(けんさき)に惑わされると自分の構えや姿勢が崩れて隙を生みます。「一心不動」は、これに動じるなと命じています。相手の剣先に振り回されると訳の分からない内に一本を取られてしまいます。しかしそれに動じず自分の構えと姿勢を保つならば、逆に相手のその動きの中に隙を見つけるのです。
怒りに対して怒りを、憎しみ対して憎しみを、目には目を歯には歯を、相手の剣先に振り回され心を乱された時、そこに隙が生まれ、何が何であるか自覚できない混乱に陥るのでしょう。しかしそれに動じず「一心不動」の構えをもってすれば、その怒りや憎しみ、更には、苦しみ、悲しみ、喜び、それらをはっきりと見定め、正しく受け止めることが出来るのではないかと思いました。
昔、藤本朝巳兄が何気なく私に仰って下さったことを思い出します
「孫先生、怒ったら負けです」

孫 裕久

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