無題

教育勅語の学校教材としての使用について、政府は3月31日「憲法や教育基本法に反しない形で用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定しました。

 

教育勅語(現代語訳)の骨子を私なりにまとめてみますと

  1. 我が皇室の先祖は遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざし、今日その成果を納めてきた。
  2. 教育の根本は、この道義国家を達成する為にあると信じる。
  3. よって、あなたがた臣民は、親孝行など道義に相応しく生きることは勿論のこと、非常事態には真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
  4. これは皇室の先祖が残した教訓であり、その子孫と臣民が共に守っていかねばならない事で、国の内外を問わず間違いのない道である。

 

そして以上の教育勅語を誰が言っているか?それは朕です。教育勅語は「朕(ちん)惟(おも)フニ」から始まります。朕とは帝王・天皇が自分を指す自称です。

そしてこの教育勅語を誰が聞き朗読するのか?それは臣民なのです。臣民とは君主国において君主の支配対象とされる者であり、大日本帝国憲法下においては皇族以外の国民は臣民であり、天皇への絶対服従がその規範でした。(日本国憲法では主権在民が宣言され臣民の語は消えました)

教育勅語は、君主と臣民という主従関係の前提があって、これは民主主義、法治国家とは相容れないものです。

主の祈りが「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」と祈るのは、まさにこの世の君主の否定であります。君主(国体)が力で臣民を支配し、その支配を美化(栄光)するのではなく、それらを神に奉還することが主の祈りの結語です。それによって人は神の前にすべからく平等となり、人はみな平等であるという宣言が主の祈りの結語なのです。

一方、教育勅語は人間の自由と平等を奪い、国民を君主の臣民(奴隷)として隷属させるものです。

改憲、監視、思想統制。この三本柱によって日本は再び戦争できる国を完成させようとしています。

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