居場所のない隣人

救い主は馬小屋(家畜小屋)で生まれました。それは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とその理由を伝えています。この馬小屋は天の高い所におられる神が、この世の最も低い所にお生まれになったと解釈されています。確か…

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危機的状況下において

今私たちは主の御降誕に備える時を過ごしています。そこで与えられたみ言葉は、危機的状況下にあって主を待ち望むことであり、そこで与えられたのはインマヌエル(主は我々と共におられる)という約束でした。イザヤもそしてヨセフとマリ…

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腰で打つ

剣道の高段者の口癖が「腰で打て」であります。「腰で打つ」とはその打つ瞬間の体の感覚を表現しており実際に腰で打つ訳ではありません。腰で打つという感覚は、長年稽古を積んでその感覚を体が認識するもので初心者が頭で理解できるもの…

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新しさとは

先週、川崎YMCAのチャリティーフェスタが開催されました。私が担当したのは、昔の子ども遊びコーナーです。けん玉、おはじき、お手玉、あやとり、駒回し、メンコが用意されていました。さて、この様なものに最近の子どもが関心を示す…

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もうひとつの道

月例聖書を学会「ヨブ記」の学びが終盤を迎えています。 苦しむヨブを訪問した3人(エリファズ、ビルダド、ツォファル)の友は神の義と因果応報から、ヨブの苦しみを罪の結果と結論づけ悔い改めを勧めます。しかしヨブは、悪人が栄え善…

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一心不動

1975年、大阪市立玉出中学に進学したのは48年前のことでした。玉出中学は剣道の強豪校でした。新入部員に手渡されたのは「一心不動」と書かれた緑の手ぬぐいでした。その手ぬぐいを頭に巻いて面を被ります。多少人生を経験し、その…

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海員宣教を覚えて

先週、ロナウド・ジュリアン宣教師をお招きしてみ言葉に預かり、礼拝後海員宣教のお働きをご紹介頂きました。 ジュリアン宣教師は港に停泊中の船に乗り込み海員の相談や食料の買い出し、母国への送金などをお手伝いするとのことです。ど…

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迷いと決断

最近、健康の為にと毎朝竹刀の素振りを始めました。会社をやめて30年以上になりますが、それ以来のことです。筋力、体力、足腰は衰え、最初は現役時代のように竹刀は馴染んでくれませんでした。ひと月以上が経過し、ようやく少しだけ竹…

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